暴露

2001年4月30日
彼氏は一応退院しました。
後は薬の投与をしながら、一ヶ月経過を見ます。

その一方で、とうとう親に真実を話さなければならない状況にまで陥りました。
なぜ彼氏が挨拶にこないのか。なぜ何の連絡もないのか・・・・・・。
「入院してたから」
そう言った途端、私の目からは涙が溢れました。

黙っていたことを怒られました。そして、やはり結婚を反対されました。
彼氏の病気は難病で、そこらへんの医学書にはのっていません。
命に関わる病気で、今やってる薬の効き目が見られなければ死の可能性が大きくなる。
そのことは・・・・・・・・・言えませんでした。

「ほぼ治った。後は薬飲んで様子みてる」
そうとしか言えませんでした。

色々親から説教され、ナジられ、呆れられました。
こんな大きな事情を見せられる私の普段の心遣いの悪さを指摘されました。

「日常、親を軽く扱い、心で足蹴にしてるからだ!よく反省しとけ!!」
と。

私はどうしても、あの親には穏やかな心で接することができない。
「自分の我を優先してるだけだ。本当に彼氏の事が大切なら本当のことを言っているはずだ。」
と言われた時、そうかもしれないな、と思いながらも、親にはそんな顔一つ見せませんでした。

ダメなのです。親にはどうしてもコノ歳になっても反抗的になってしまう。抵抗しよう抵抗しようという私がいる。

私が病気になるところを、彼氏が代わりになってくれたのかもしれません。
「命をかけて守る」という私の決意なぞ、単なる甘ちゃん的考えのものなのかもしれません。
彼氏のために死ねるか?と聞かれれば即答で死ねると答えられるでしょう。しかし、そんな事に何の意味がある?彼氏のために死ねることがそんなに凄いことなのか?

いや、違う。

死ぬことなんて簡単なのです。もっとも簡単で何の努力していなければ何の自己犠牲も払っていないことなのです。
生き続ける上で、どれだけ彼のために自己欲や自己防衛や我を捨てられるかが、最も辛く最も努力のいる愛の示し方なのです。
死ぬことなんて、逃げにしかすぎない。何の努力すら、何の犠牲すら払っていない自己満足にすぎない。

彼のために、どれだけ針のムシロに自分の身をおけるか。
それが、本当の「命をかけて守る」ということなのでしょう。

結局、私は自分のことしか考えていない。
彼を愛してると言いながら、自分が苦しい目にあうのを避けている。
最低の人間です。

だから、とんとん拍子にいくはずの結婚も、こうやってストップをかけられ、大きな病気まで受けてしまった。全て、私のせいとも言えます。

自分の身に病という身上をもらうより、彼氏が病気になる方が辛い。
そう、事情を見せられる方が辛い。つまり、見せられる方に問題がある。

私は、自分が自覚している以上に冷たい人間であり、高慢な人間であり、我の強い人間であり、自己中心的な人間であり、ロクでも無い精神をもった人間でした。

そう言いながら、今も親に対して反抗的になってしまう私は、救いようのない人間だと言えるでしょう。

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