夫婦

2001年5月26日
時々不安になる。
病気に対する不安は常にあるんやけど、それ以前に
、彼の気持ちに対して不安になる時がある。
今までの日記でも書いてきたことだけれど。

イライラすると、私にも八つ当たりする彼。イライライしてる時は、私の声さえも聞きたくないと思う彼。
機嫌のいい時、楽しい時、傍に居て欲しい時だけ私を必要とするのだろうか?私は彼が必要とする時だけ存在すればいい人間なのか?
そう思ってしまう。

それを最近彼に言ってみた。
私は必要な時に傍に居ればいいだけの、都合のいい女ではない。プライドをもった、一人の人間であるし、あなたが必要としない時も存在しつづけるいっこの人間であるということ。
私を必要としない時、私の存在をウザイと思う時があるということは、愛してないということなんじゃないか?結婚する前から、そんな冷めた感情で、これからやっていけるのか?

彼は答えた。
「そうじゃないよ。必要としていないってことじゃないんだ。心を許してる相手であるからこそ、イライラした気持ちを一気にぶつけてしまいそうで恐いんだよ。だから、『そっとしといて』って言うんだ。」

ほほう。

ん〜・・・わからないでもないけれども、どうも納得いかない。今は離れてるから、電話しない限り接触できないわけだから、必然的に「そっとしとく」状態になってしまうが、一緒に暮らし始めたらそうもいかない。どんな精神状態の時も、家に帰れば常に顔をつき合わせる。そうなったら、一体どうするんや?イライラしてるときは、家に帰ってこーへんのか?あるいは、家から外へしばらく出ていくんか?
その度に私は傷つかなければならないのか?
そんなんで、人生の大半を一緒にいられるんか?・・・無理やろ。

自分に余裕がない時、自分がイライラしている時、私が泣いてたら・・・・あなたはどうする?
「うっとうしいなぁ・・」と思うわけ?
それは違うやんな?そんな時であっても、自分のことよりもマズ相手を思いやるのが愛情やんな?
結婚前で、まだ一緒にいられない今なら、尚更そう思うのが普通やんな?

そこが、私は不安なのです。気持ちのズレ。愛情の薄さ。育った環境が違うし、育ててくれた親も違うわけやから、愛情の基準が違うのは仕方ない。でも、ある程度一致してないと、やってけへんやん。あなたにとって「これが100%」と思っている愛情も、私にとっては「50%」にしか感じられないこともある。それは、愛情を量る枡の大きさの違いとも言える。このズレは辛い。年々そのズレは大きくなっていくから。それがとても不安。

彼はこう言った。
「いらん心配はするな!俺についてこい!以上。」


愛とは、相手の欠点や不安さえもぼかしてしまうフィルターになる。それを重々承知していながらも、不安を底の方へ押しこめ、彼の言葉を信じようとする私が居る。「きっと大丈夫だ」と思いこもうとする私が居る。
それが正しいのかどうかは分からない。もしかしたら、将来「あの時ちゃんと見極めてれば・・・」と思うかもしれない。
けれど、やはり彼を信じたいのです。一時の感情に流されてバカな女だと思われても、それでも信じたい。

「うん、分かった。でも、不安が出たときは、その都度言うから」
と私が言うと、
「うん、いつでも言ってね。夫婦なんだから!」
と彼は言った。

「夫婦」
くすぐったい響きです。早く、正式の「夫婦」になれるよう、頑張りたい。
                                                                                                                                           

私の今の決断は、これからの一生を大きく決定付ける決断です。そう、「人生の岐路」に立っている。
どの道を選ぶかは、自分の責任における自己決定。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

この日記について

日記内を検索